Dec 07, 2010

私は塾講師時代の貴重な経験

私は大学生時代の4年間、塾講師のアルバイトをしてきました。大学教授の紹介で、そこには、個人経営している小規模の小さな塾でした。塾长の所有者が一人と私を含めて講師陣が3人という非常に快適な環境でした。私は従って、"勉強を教える"という教育のもとを学びました。そこで出会った学生たちは、そして、塾长と塾講師の2人とは今も切っても離せない関係です。
中学生の時、父の転勤で、日本の北から南へ移動しました。当時、使用している教科書は全く違って勉強がしどろもどろになってしまったのです。その様子を見かねた両親は家庭教師を選択してくれました。週2回の家庭学習支援をお願いしました。親切にゆったりと家庭教師の先生が教えてくれたことで、自分をなくし、自分の意欲が湧いてきました。今も感謝しています。
 陸前高田市で被災し、仕事を無くした高齢者や障害者たちに、埼玉県草加市の草加せんべいの業者らが焼き方を指導している。草加せんべいは、押し瓦を使った堅焼きが特徴。改良を重ね、陸前高田オリジナルのせんべいとして売り出そうという狙いもあり、せんべい職人たちは「復興に一役買えれば」と張り切っている。
 陸前高田市のNPO法人「あんしん生活」(津田信子代表理事)が工場で高齢者や障害者を雇用して天ぷらなどを作ってきたが、被災して冷凍庫が使えなくなった。これを知った草加せんべい振興協議会などが支援に名乗りを上げた。
 指導は今月20日から始まり、約10人が手ほどきを受けた。「焼き加減が難しくて緊張する」と話すのは、熊谷サト子さん(73)。浜でカキ養殖の手伝いをしてきたが、津波で仕事が減り、漁協の組合員以外には回ってこなくなった。「生活のためはもちろん、生きがいにもなる。仕事があるっつーことは、すごくいいですね」と笑顔を見せた。
 振興協議会の鈴木康弘副会長は「一人前になるには10年かかり、短期間では教えきれないが、これから地元の米を使うなど材料や製法を工夫し、陸前高田ならではの新しい味に改良していってほしい」と話している。
 これまでに作られたせんべいは、「陸前高田手焼きせんべい」として市内で27、28日に開かれる復興イベントで販売される。【市川明代】

8月27日朝刊

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 宮古・下閉伊地区の就職面接会が26日、宮古市の市民総合体育館であり、震災で仕事を失った人など約200人が訪れ、企業側の説明に聴き入った。
 市や宮古公共職業安定所などでつくる宮古地域雇用対策協議会が例年お盆にUターン者などを対象に開いていたが、震災の今年は一般求職者向けに時期をずらして実施した。
 電子部品や自動車工場、ホテル、介護施設など33事業所が参加。ブースではスーツ姿の求職者が、人事担当者から仕事の内容や待遇条件などの説明を受け、メモを取るなどしていた。
 協議会によると、訪れた人は昨年の3倍近くに上り、過去最高。震災で失職した人たちが大半だった。震災では同地区だけで約2500人が職を失ったという。12月にも再度、開催することにしている。【鬼山親芳】

8月27日朝刊

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 震災の津波で宮古市鍬ケ崎仲町の実家を失った「糸あやつり人形劇団みのむし」の飯室(旧姓鷹觜(たかのはし))牧子さん(62)=京都市=が26日、劇団を主宰する夫の康一さん(63)、長男でパントマイムを演じる巨起(なおき)さん(39)と共に宮古市内の「そけい幼稚園」でボランティア公演した。震災の恐ろしい体験を忘れて笑い転げる園児の姿に、「一時でも楽しんでもらえればうれしい」と目を細めた。【鬼山親芳】
 海辺にあった実家は全壊し、今は解体されて跡形もない。街並みは消え、中学、高校時代の友だちの何人かもいまだに行方が分からない。震災前から決まっていた宮古市立図書館での公演(27日)で宮古入りするのをきっかけに、「古里復興の力に少しでもなれれば」とボランティア公演を思い立った。
 そけい幼稚園では康一さんがキリンの人形を相手に、腹話術を駆使してユーモラスに演技。宮古生まれの巨起さんもフランス仕込みの軽妙なパントマイムを披露。牧子さんは音楽など裏方に徹した。約160人の園児らは体をよじるようにして笑った。晴山正子園長によると、20人の園児が家を流された。震災後、人形を抱いて「津波が来た。逃げろ」と遊ぶ子供もいたという。
 牧子さんは県立宮古高校を卒業して上京。人形劇団「竹田人形座」に入り、座員の康一さんと結婚。1973年ごろ、夫婦で「みのむし」を旗揚げした。康一さんは人形操作と製作の第一人者で、牧子さんも演目によっては人形を操る。
 「帰省するたびに、『おお、帰って来たか』と声を掛けてくれた近所の人たちがいなくなりました。人形劇がどれほどの助けになるか分かりませんが、子どもたちを励ましたい」と牧子さん。ボランティア公演は30日まで、宮古市や釜石市、山田町で計9回行う。

8月27日朝刊

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